心の相談通信

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[2012.10-Vol.32] 心のミニ講座(10)『乳児研究』について

すっかり日も短くなり、後期の授業も始まりました。もうそろそろ、夏の疲れもとれ「食欲の秋」を感じる季節ではないでしょうか。
ところで、みなさんはどんなものを美味しいと感じられますか?人間は甘味・塩味・酸味・苦味・辛味の5つを感じるとされていますが、 どれを好むかで、その人の性格傾向がわかるそうです。
それは「新奇探究性」・「損害回避性」・「報酬依存性」という3つの性向の強弱により表され、意外にも当たっていると感じる人が多いとか。
もちろん、味覚は色々な経験を積んで変化を遂げるものです、苦い味が大人の味といわれるのも経験値によって本来は毒物として警戒すべき苦味を受入れられるようになるからです。
ただ、気をつけたいのはここ数年流行の激辛料理や濃い味です。人は強いストレスを感じると交感神経が緊張し、正常な唾液の分泌ができなくなります。
すると味の感受性が落ち、ますます濃い味を求めるようになってしまうのです。
“自分の味覚でストレスチェック” 健康管理の一つとしていかがでしょうか。

心のミニ講座(10)『乳児研究』について

WEBSCの菊池です。先日は私自身が専門的に学び続けてきた精神分析的自己心理学の本場であるニューヨークへ、海外研修に行ってきました。 13時間の時差、午前・午後の研修、そして研修の予習という中で、睡眠時間は連日3、4時間の状態でしたが、一期一会の気持ちで学びに集中できたことで、おかげさまで充実した研修を無事に終えることができました。
グランドセントラル駅前の写真】(クリック)

研修終盤の残り2日間は、ニューヨークからマサチューセッツへ移動して、日本でもその業績がすでに翻訳されている、上記の専門分野の大御所であるラックマン博士の別荘にて、特別講義を受ける機会に恵まれました。すでに80歳を超えるご高齢の方でしたが、難しい現象や理論をとても丁寧に、わかりやすく説明していただき、とても貴重な経験を得ることができました。

研修の合間には、ラックマン博士の事前の手配もあり、別荘近くで開催されたボストン交響楽団によるタングルウッド音楽祭を鑑賞する機会にも恵まれした。また、ゲストとして世界的チェリストであるヨーヨー・マの共演もありました。特に彼の演奏における気迫と存在感は、私にとって記憶に残るものとなりました。

今回のコラムは、上記の海外研修における中核的なテーマのひとつである、現代の早期乳幼児研究の動向について、手短にみなさまにご紹介したいと思います。

≪乳児研究と『予測』≫

現代における早期乳児研究の世界的権威であるスターン(1977)は、モハメド・アリのボクシング世界戦に、フレームごとの分析を行い、現在の研究にも通じる興味深い研究結果を発表しました。一見、テレビでボクシングの試合を眺めていると、ある選手Aがパンチを打ち、それに反応して相手のある選手Bがガードをするというような、刺激と応答の直線的な時系列や因果関係に沿って、リング上での試合が流れているように見受けられます。

しかしながらビデオ分析を行った結果、アリのジャブの53%と相手選手のミンデンバーガーのジャブの36%が視覚的な反応時間よりも速かったことを発見しました。すなわち、ボクシングで繰り広げられるひとつのパンチには、単純に上記のような相手にそれをかわしたり、防御をしたりする応答を引き出す刺激ではなく、それ以上に相手の次の動きの連鎖を解読するという側面が含まれていることを、有力な仮説としてスターンは提示しました。

パンチが相手にうまくきまるということは、相手もまた動いている中で、相手の動きを時間と空間において正確に予測することが不可欠であると考えられるのです。ボクサーが相手にジャブをうつことは、相手の次の動きを解読するための仮説検証的な試みであるともいえるのです。

私は以前、ある格闘家の方から、相手と組み合った瞬間に、勝敗の行方を感じ取ったことがあると直接聴いたことがあります。ボクシングの試合において早いラウンドで勝敗が決まってしまうことがあるように、そのような体験も、上記の相手の動きの解読や予測のプロセスと深く関連があると考えられます。

一見、上記の研究は人間関係におけるとても極端なケースを扱っているように感じられるかもしれません。しかしながら乳児研究では、一秒にも満たないビデオによる詳細な実験的観察において、乳児と母親との関係の間にも、一方の行動が完成する前に、他方の相手はほとんど同時的なタイミングですでに行動し始めているということを検証しています。

ボクシングにおいて、パンチと防御のやり取りが、直線的な時系列(因果関係)では成立していない面があるように、母親と(一歳に満たない)乳児との関係における発声や情緒的な交流などの次元においても、同時的(非線形的)な現象が成り立っていることが検証されています。すなわち発達の最早期において、その後の一生を通じて発達し続ける『本来的な』予測や記憶を伴う組織化能力(自己感)を、生後数か月の乳児が『すでに』持っていることが実験的に明らかになったのです。

≪視線のやり取りと『相互交流』≫

上記の乳児に対する見解は、以前コラムでご紹介したマーラーの精神分析的発達論(分離-個体化理論)とは、相反する面が当然ながら存在することになります。マーラーの理論化においては、『正常自閉期』という母親を認識せず、無対象な段階から、『正常共生期』という母子一体の未分化な前対象段階へ移行します。そして、そこから徐々に自己と対象の分化の段階へというように、自己と他者がとても未分化な状態(自閉期・共生期)から、両者が次第に別個の存在へと分離し、個体化していくという理論化であるからです。そのため前述のスターンによる発達最早期の母子間における、両者それぞれの予測と記憶(自己感)を伴った活発な相互交流の存在を前提とする理論化とは、異なる面があります。

例えば、スターンは発達における『分離と個体化』に深く関わる『自律と独立』という行動基準に関して、生後3ヶ月~6ヶ月の乳児と母親における母子交流の中で、それはすでに確認できると指摘しています。この時期の乳児は4肢の運動等が不十分であることは、当然のことですが、視覚面では驚くほどに成熟し、交流可能な存在であることがわかっています。

すなわち社交上の有力なコミュニケーション形態である『見つめ合い』を、乳児は母親と同等レベルにコントロール(開始・維持・終結・回避)しており、かなりの主導権を握っていることがわかっています。また、乳児は目をそむけたり、閉じたり、そして遠くをぼんやり見つめることで、自分が見つめる方向をコントロールしながら、自分が受け取る社交上の刺激の量を制御したり、あるいは母親を拒絶したり、距離をとったりして、自分を母親から守っている様子がうかがわれます。これらの一連の相互交流的な行為は、『自律と独立』の兆候が、すでに発達最早期において存在していることを示唆しています。

上記の視線のやり取りは、(成人の)心理臨床場面においても、言語レベルの交流の『背景』に、常にといって良いほど存在している現象です。すなわち、最早期の親子関係を詳細に観察することで、臨床家と相談者が臨床場面において、普段は気づきの外側にあるような、意識していない非言語(前象徴)レベルでの相互交流の意味やプロセスの原型を、体系的に読み解くことができる可能性と同時に、その原型を心理臨床場面の『前景』に焦点化させる可能性が、理論上より高まったと考えられるのです。また、この研究活動と臨床実践の相互作用により、これまでに対応が難しいとされてきた精神病理や不適応にも、新たな臨床的可能性を拡大させることが期待されます。

≪『段階』と『領域』≫

最後に『(発達)段階』について、補足しておきたいと思います。伝統的に主に精神分析理論においては、前述のマーラーの発達理論においても見受けられますが、ある『未熟な段階』から、次のより『成熟した段階』へと強調点が移行していく(凌いでいく)という理論化がなされてきました。その原型となるもののひとつには、フロイトの『一次過程』と『二次過程』という概念化にまで遡ることができます。

『一次過程』とは精神作用の最も初期で原始的な形であり、本能的欲動というエネルギーの緊張を解放しようとする法則に従います。またそこには論理的な関連の無視や時間の尺度の無視などの無意識の精神作用の特徴も含まれています。そして『二次過程』とは、言語的機能ともなった現実的態度や論理的思考を作り上げる精神作用であり、試行錯誤による問題解決を通して、本能的欲動の満足を延期したり、調整していく心的過程を意味します。

フロイトの理論化においては、発達的には(睡眠中や精神病理ではなく)目覚めた正常の状態では、一次過程は徐々に二次過程によって『抑制されていく』と考えられます。すなわち前者は後者の『前段階』であり、すでに説明したような強調点の移行が見受けられるのです。(フロイトの論旨は、必ずしもこのような単純なものではありませんが、その詳細についてはコラムの範囲を超えるため、ここでは省略させていただきます。)

しかしながら、スターンに代表される乳児研究においては、そのような段階的な移行よりも、むしろそれぞれの段階がそれぞれにより成熟していくという理論化を行っています。スターンはその現象を『段階』ではなく『領域』という言葉を用いて説明しています。 すなわち、(主にフロイトの理論化とは対照的に)乳児の予測や記憶、そして主導性や社交上の非言語レベルの能力(自己感)は、言語レベルの能力(自己感)の発達と同時(同等)に、一生変わりなく続く社会体験の様式であると考えられるのです。

このような理論化は、例えば和田(2002)が指摘するように、恋人同士が手をつなぐ等の『身体接触』においてもあてはまります。恋愛経験を重ねるごとに、そこから様々なバリエーションが生まれて、『言葉』で思いを確かめ合うだけではない、共感的な交流(相手の気持が言葉に出さなくても読める等)や行動パターンの予測がお互いにより深まっていくというプロセスが存在するからです。それは非言語レベルでの関わり(自己感)の一生を通じての発達であるといえるでしょう。

今回は『乳児研究』について、手短にまとめさせていただきました。補足したい点は他にも多々ありますが、みなさまの知的好奇心に繋がるものがあれば幸いです。

 

《参考文献》
1. Beebe,B.&Lachmann,F.(2002).Infant Research and Adult Treatment.The Analytic Press./富樫公一監訳(2008).『乳児研究と成人の精神分析』誠信書房.
2. Freud,S.(1911).Formulation on the two principles of mental functioning. S.E,12,218-226./井村恒朗訳(1970).『精神現象の二原則に関する定式』フロイト著作集第6巻 人文書院.
3. GACKT(2001)『君のためにできること』(THE GREATEST FILMOGRAPHY 1999-2006 ~BLUE~.NIPPON CROWN.)
4. Lee,R.&Martin,J.(1991).PSYCHOTHERAPY AFTER KOHUT./竹友安彦・堀史郎監訳(1993).『自己心理学精神療法』岩崎学術出版社.
5. Moore,B.&Fine,B.(1990).PSYCHOANALYTIC TERMS&CONCEPTS.Yale University Press./福島章監訳(1995).『アメリカ精神分析学会 精神分析事典』新曜社.
6. Stern,D.(1977).The first relationship.Harvard University Press.
7. Stern,D.(1985).The Interpersonal World of the Infant.Basic Books./小此木啓吾・丸田俊彦監訳(1989).『乳児の対人世界-理論編-』岩崎学術出版社.
8. 和田秀樹(2002)『<自己愛>と<依存>の精神分析』PHP新書.

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