心の相談通信

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[2011.09-Vol.28] 心のミニ講座(6)『強迫』について

暑さも少し和らぎ、陽も短くなりました。皆さんは楽しい夏休みを過ごされましたか?
この秋は自然の織成す色に眼を向けてみませんか。まず秋の空は乾いた空気のために澄み渡り、昼夜ともより深い色になります。ですから雲も月もより美しく見え、お月見にも最適な時季なのですね。お月見に付き物のススキや団子も夜空の深い黒との対比が美しいと思います。 
次に秋の花を思い浮かべて下さい。コスモス、萩、桔梗、撫子などピンク~紫~青のトーンが目立ちます。9月も下旬になると真赤な曼珠沙華の群生が眼につき、その後は菊、モクセイ、柊と白い花へ移っていきます。そして木の葉の色づき。緑から黄色へ赤へ、風景としても葉の一枚一枚を見ても微妙なグラデーションを楽しむことができます。
外を歩いているとき、ちょっと立ち止まって空を眺めて下さい。まわりをゆっくり見渡してみて下さい。どこかに必ず秋の色が見つかります。

 

心のミニ講座(6)『強迫』について

WEBSCの菊池です。今回のコラムは“強迫”についてご紹介したいと思います。
みなさんは外出時にドアの鍵を閉めたかどうか、火を消したかどうかが繰り返し何度も気になったという経験や、あるいはレポートを書くのに自分の求める要求水準や理想に満たすものが書けそうになく、そのためまったく作成が手につかない、単位をひとつ落としてしまったので他のすべての授業に出席する意欲が大きく減退したという経験はありますでしょうか。これらの現象には“強迫”が深く関連していると考えられます。 

“強迫”は精神医学の領域においては『自分にとって無意味で不合理であると自覚しているにもかかわらず、ある考えが頭に浮かんだり、行動してしまうのが止められないこと』と定義されます。強迫の主な症状としてはこの定義にもあるように“強迫観念”と“強迫行為”が挙げられます。またパーソナリティや性格の傾向として“強迫”が語られる場合は、几帳面や完全主義の傾向を指すことがあります。そして現代によくみられるパーソナリティ構造として、“強迫パーソナリティ”という概念が提唱されています。

“強迫観念”と”強迫行為”

“強迫観念”とは何らかの思考、言葉、そしてイメージが自分の意に反して意識の中に侵入してくるものを指します。またそれを無理に抑えようとすると強い不快感や不安が生じることがあります。より具体的には、ほこりやバイ菌を過剰に心配する“不潔恐怖に関する観念”、自分や他人を傷つけてしまうのではないかといった恐れや相手を侮辱する言葉を言ってしまうのではないかという心配などの“攻撃的内容を含んだ観念”、そしてものがあるべき所に置いていないと気がすまない、対称的に置いていないと気がすまないといった“対称性や正確さを求める観念”などが存在します。

“強迫行為”とはその行為を不合理であると知っているにもかかわらず、自分の意志に反して行わずにはいられないものを指します。“強迫行為”としては戸締りやガス栓などを何度も確認する“確認強迫”、手洗いや掃除を過剰に繰り返す“洗浄強迫”、そして嫌な言葉が心に浮かぶとその場に立ち止まって一定の回数足踏みしないではいられないなど、強迫への取り消しのためのさらなる強迫である“対抗強迫”などに分類されます。

これらの強迫症状の成因にはどのようなことが考えられるでしょうか。生物学的には現在、大脳基底核における神経伝達物質(セロトニン)の伝達異常という説が有力です。また、精神分析的には自分や世界(他者)への不確実さ、予測不能さ、無力さからくる“不安”(非安全感)とそれらの要因を自分で全てコントロールして克服あるいは回避しようとする全知全能への“幻想”(強迫的防衛)という二つの要因による力動から説明されます。

例えば物の置き場に関する“対象性や正確さを求める観念”には他者という予測が難しい相手との共有空間において、自分自身の完全な統制感や占有感(予測可能さ)を得ることへの激しい執着と解釈できるかもしれません。また、嫌な言葉が浮かぶことへの“対抗強迫”に関しては、自分の意識に“不意に”言葉が浮かんだことへの無力感を、自分の意志で再度コントロールし直そうとする儀式的な反復行為とも読み取れます。

これらの現象には完全に自分が全てをコントロールできるという尊大で全能であることへの幻想や思い込みが、現実を直視することからの“回避のための術策”(強迫的防衛)として存在していると考えられます。

“強迫パーソナリティ”と”強迫スペクトラム”

強迫的な防衛や術策のパターンがある人の固定的で持続的な特性となり、パーソナリティの一部にまでになった場合には“強迫パーソナリティ”に該当すると考えられます。その主な特徴とはすでにご説明した尊大な自己像と万能的なコントロールがあります。またその一方で、このタイプの方は自分が他者より劣っていると感じています。自分の自信や自尊感情がとても傷つきやすく脆弱(不確実)なのです。自分への完全主義的要求や理想的目標が高いために、現実に成し遂げたことへの満足がなく、自分自身への非難と失望のなかで自尊感情やプライドの基盤が得られずに、100と0を往復するような状態に陥ります。 自己評価が0に近く無力であると感じる不安定な自分と不確実な世界観を直視しないように、ますます完全という幻想に執着し続けます。

しかしながらこの幻想的な完全への努力、強迫的防衛が機能しなくなることも当然ながら考えられます。その結末は自分自身への無力さの露呈とそれへの幻滅感であり、そこから“うつ病”が生じる可能性があります。また幻想的万能感が機能しなくなるような状況やコントロール不能という無力さを体験するような場面自体を持続的に回避しようとするとき、様々な“恐怖症”が発生すると考えられます。学校恐怖症(不登校)もこの心理機制との関連性が考えられます。

また現実を直視できない尊大な自己像(強迫的防衛)から、向こう見ずなギャンブル(自分は絶対に賭けに勝ち続けるという幻想)・アルコール中毒(アルコールの量を自分で自在にコントロールできるという幻想)・盗癖(物を盗んでも自分は絶対に罪を免れることができるという幻想)などの嗜癖が成立します。日常生活への不適応が生じるほどのテレビゲームへの没頭も、バーチャルな世界での幻想的万能感やコントロールへの執着という強迫的防衛の観点から考察が可能であると私は考えています。

この他にも様々な精神病理が“強迫”を鍵として、その関連性を読み解くことができます。このような“強迫”による精神病理の包括的な視点を“強迫スペクトラム”と呼びます。現在では心理学だけではなく、生物学的な観点からもこのスペクトラムが注目されています。

“強迫”と適応

最後に“強迫”と適応について説明したいと思います。ここまで“強迫”の病理的側面を中心に説明を行いました。しかしながら、“強迫”は多かれ少なかれ誰もが何らかの形で関わっている心理機制です。また適応的側面もあると考えられます。例えば研究者の世界では仮説を検証するために実験や測定をそれこそ強迫的(反復的)に何度も確認をしながら正確なデータを収集することが求められます。文献研究をする場合も同様に、参考資料や文献を繰り返し精査する作業が論文作成においては必要です。また理系・文系を問わず研究に取り組むことの動機には、全知への欲求というファクターが深く関与していても不思議ではありません。またそれらの成果は社会へとフィードバックされる可能性を十分に含んでいます。

研究に限らず一般的な事務作業においても同じパターンで正確に作業を続けることは作業の効率化に関連します。反復的な仕事のパターンやルーチン作業が習慣化すれば、事務作業の拡大とさらなる効率化にも繋がり、作業者自身の安心感にも直結するでしょう。“強迫”の適応的側面はこの他にも様々なシチュエーションに潜在していると考えられます。

強迫症状が日常生活に重い障害をもたらしている方を援助する際には、薬物治療の必要性から医療機関との連携が求められる場合があります。しかしながらそのように悩まれている方が医療機関へ進んで継続的に通院できるケースは経験上あまり多くないと感じています。

その背景には前述したように尊大な自己像という万能感への執着があるために、症状に苦しんでおられるにもかかわらず、通院するということ自体が自分で全てをコントロールしたいという心理機制(強迫的防衛)と激しい葛藤を起こすためであると考えられます。そのため強迫で悩む方が通院に繋がった際には、すでにその時点でご本人の心に何らかの重要な変化が起きたことを実感することが少なくありません。その道のりをどう援助できるかということも、とても重要な役割であると私は考えています。

《参考文献》
1.原田誠一編(2006).『強迫性障害治療ハンドブック』金剛出版.
2.福田真也(2007).『大学生のこころのケア・ガイドブック』金剛出版.
3.成田善弘(2002).『強迫性障害』医学書院.
4.Salzman,L.(1973).The Obsessive Personality./成田善弘・笠原嘉訳(1985).『強迫パーソナリティ』みすず書房.

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